平成27年12月 6日(日)
大六天山(439m) 

コースルート

 

 

 

女川町から牡鹿半島の山間部を走るコバルトライン、大六天山の登り口の駐車場に923分到着、登山準備にいそしむ。

 

風は強いが天候もよく、リアス式海岸を見ながら、各自の準備体操を!!

 

13年前にも大六天山に登ったとか!! 挨拶後すぐ出発

 

風はあるものの日差しが強く心地よい感じである。足の運びも順調!!

 

今日は意外とストック持参者が少ない感じである。

 

師走の日差しは強いが太陽の高度差がなく、影が長いゆえ夕方の感じ、しかし午前1000頃である。

 

三国神社の鐘楼が震災で崩れたのだろうか? 釣り鐘のみがたたずんでいた。

 

三国神社にお参りしたり好天中の海を見たり梵鐘の歴史をたどったりと思い思いの時間を過ごす。

 

「ど う れ ・・・」力強い響きかな? と思いきや、以外に優しい響きであった。

 

海をバックに梵鐘の前で!!

 

三国神社から10分ほどで大六天山到着、あまり展望よくない。

 

展望台に行ったものの、樹木が邪魔で眺望が得られず!! しかし下山に入るや斜面の樹木が倒木のため伐採され、最高の眺めが続いた。

 

急斜面を利用しての写真、風が強いが日差しがあり、海に浮かぶ船舶、や島々が美しく自然に笑顔が・・・・!!

 

松や笹が枯れており塩害なのだろうか・・・・・?

 

風の当たらない展望のよい緩やかな斜面、雄大な景色、行き交う船舶を眺めながらの昼食。

 

昼食後バスの待つ駐車場に向かう。

 

石巻市の日和山公園からの眺め、以前の写真と比較し津波の恐ろしさを実感する。

 

津波により荒浜には住宅が1件もなく、荒れ果てた大地そのものが想像を絶する。
写真の慈聖観音像と同じの高さの津波が押し寄せたのだそうだ。

 

 会員の伊藤さん、
震災当日は仙台東部道路の西、七郷(荒浜地区の近く、仙台東部道路の500m程先)に住み激しい揺れにおそわれたものの難を逃れた。
震災直前までの10年間荒浜の住民として、一戸建ての社宅に住み、子供さんは荒浜小学校に以前在籍していたという。

そのようなことで、住み慣れた美しい荒浜が地震と津波に打ち砕かれ無惨にも荒涼たる原野に変わったことに心を痛めている。
更に以前の荒浜の町並み様子や近隣の方、知り合い、伊藤様が住んでおられた住宅も津波の中に消えたと涙ぐんでお話をしておられた。

「知ってる方の名前が刻まれているんだ・・・・」と

 

様子を知らぬ私たちは、彼女の言葉を聞き逃すまいと・・・・。
さぞかし当時の思いを呼び起こすのも辛かったろうが。物静かな伊藤様が津波の恐ろしさを思うまま真剣に語ってくれた。
また元住民であったろう方が、荒浜慈聖観音像に掲げられた花束を片付けていた。・・・・・・!!

写真の中央は名取市閖上の旧日和山ここは避難場所にもなっていたという。しかしその日和山よりも高い津波(慰霊碑の高さ)であったとのこと。
この山頂に巨大な石碑が建っていたが流され道路脇に落ちていた。ここに避難した方はいったい・・・・・・・?

特記事項

 





***  写真撮影 : 
三浦 鐵太郎
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